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2 実際の摂理の展開 

(1)金百文の反対

   文先生は、神が韓国にどのような教団を準備されたのかを調査され、神霊集団の中でも金百文という人物が新約時代の男性側の立場で、最もアベル的立場にあることを知られた。
   それでキリスト教が先生と一体化して出発するためには、2000年前にイエス様が洗礼ヨハネから祝福されたように、文先生もそのような祝福を受けなければならなかった。

   文先生と金百文が一体化すれば、旧約時代・新約時代・成約時代の道がすべて連結され、今までの縦的な歴史的失敗を横的に完全に蕩減復帰する勝利の基盤が造成された立場に立つのであった。
   そこで1945年10月、文先生は金百文のいるイスラエル修道院のもとに入っていかれた。そしてソウルの上道洞礼拝所の補助引導師をしたりしながら、40人ぐらいいる中で、朝早くから、誰よりも熱心に働き、奉仕していかれた。すると、1945年12月25日、霊界がある人を通 して文先生に対してソロモン王の祝福を与えたのであった。
   金百文は、一修道生のように思っていた一青年に対し、そのような啓示があったため、唖(あ)然(ぜん)とした。

   文先生は、原理を知っているがゆえに、洗礼ヨハネの立場の人が祝福を与えた後、ややもすると反対し、離れていく可能性があることをよく知っておられたので、彼が天命に従い、勝利してくれることを祈られた。
   そしてさらに今度は、そこにいた弟子たちに、「文先生に付いていくように」という啓示がおり、みな先生の方に行こうとしたため、金百文はそれを妨げるようになり、先生に対し敬遠する立場に立った。文先生は、1946年の4月までの6か月間そこにおられたが、そこではみ旨が果 たされないことを知って、出て行かざるをえなくなったのである。

(2)北韓でのキリスト教再統合の摂理

   金百文の不信のゆえに、男性を中心とした教団を立てて国の最高の立場でなそうとした摂理がくずれたため、文先生は、最低の立場から神が準備したそれ以外の女性を中心とした教団を探し求められた。
   もう一度、神霊集団全体を統合しなおすため、神の啓示を受けて、当時すでに共産主義の配下にあったサタン側の北韓の地に向かったのである。その時は南北の往来がむずかしくなっていたが、何とか国境の厳しい監視区域を越えて、1946年6月6日に平壌に到着された。

   平壌というところは、東洋のエルサレムと呼ばれていて、多くのキリスト教徒たちが集まっていた。この時は、平壌市民の多くがキリスト教徒であったため、共産党も露骨に弾圧を加えることはできなかった。
   先生は、そこで家庭集会を中心に伝道を始められた。そして1か月足らずで10数名の弟子が誕生した。その多くは長年にわたり、キリスト教の信仰を持ち続けてきた人々であった。

   1946年6月11日には、金仁珠女史が、7月17日には金元弼氏が弟子となっていった。文先生の祈りと説教は、いつも汗と涙に満ちておられた。そして、その説教は6時間から8時間が普通 であった。人々はそのみ言(ことば)により雷に打たれたような衝撃を受け、霊的炎につつまれているようであった。
   それまでのキリスト教の教えでは満足できず、何年も祈り求めていた人には回答が与えられ、逆に参加する動機がいい加減であったり、良くないときには、霊通 した弟子たちによって指摘され、叱られ、時には追い出されたりした。
   そこにおいてはいつも、祈るたびに、歌うたびに、語るたびに、聞くたびに、昼夜を分かたず泣いていたため、近所の人々は「泣く教会」と名付けるようになった。
   ところが蕩(とう)減(げん)復帰の信仰の道が理解できない弟子の家族や自分の教会の信者を奪われていく牧師たちが反対するようになり、彼らの迫害は次第にエスカレートしていった。

   2000年前、ユダヤ教徒たちは誰よりも信仰を持ち、メシヤ降臨を待ち望んでいたが、旧約聖書の部分的み言にとらわれすぎていたため、イエス様を受け入れることができなかった。
   今日においても同様のことが繰り返されることとなった。世俗的で慣習的な観念にとらわれ、真理の前に常に謙虚さと探究心を持たない人々にとって、また、イエス様の昇天以後、2000年の間に自分たちなりにつくり上げてしまった信仰・神学にとらわれている人々にとって、原理を理解し、受け入れることはきわめてむずかしかったのである。
  そしてついに1946年8月11日、このような牧師たちによって文先生は訴えられ、また共産党からは李承晩のスパイであるとの嫌疑をかけられ、大同保安署に拘束されることとなった。 - 平壌で伝道された食口と共に

(3)許孝彬の不信

   文先生が拘束された大同保安署には、神霊集団の腹中教の幹部たちが投獄されていた。彼らは獄中に主が訪ねて来られるという啓示を受けていた。
   先生が入られた部屋には、許孝彬の夫の李一徳や幹部の黄元信らが入っていた。そこで彼らを通 して許孝彬にメッセージを2度伝えたのである。「共産党は啓示で受けた内容が嘘だと言えば釈放すると言っているのだから、それを認めて牢獄から出よ」と。
   しかし許孝彬は、神からの啓示を否定することは死んでもできないと固執した。それで文先生は最後の手段として割り箸を入れる紙切れに、魚の骨で直接手紙を書かれた。

   「すべてを否認して出獄しなさい。私が責任を持つ。どうしても信じられないなら、この手紙を書いた人物がいかなる人物か、祈祷してみなさい」。

   このような証拠品となるような手紙を書くことは、一囚人としてはきわめて危険なことであった。
   それは危険を犯してまでも教えなければならない責任が先生にあったがゆえであった。しかし、許孝彬は最後まで従おうとしなかった。それは、神がすべてをなして救い出して下さると考えていたからであった。すなわち人間の5パーセントを尽くすということがどういうことなのか、わからなかったのである。
   この時の先生の手紙が監守に発見され、先生は拷問を受けて歯が半分欠けてしまった。この時が9月18日午後2時であった。そこから先生に対する本格的な拷問が始まった。
  このようにして、神によって準備されていた神霊集団を中心とするキリスト教を立ててなそうとした摂理が、南においても、北においてもすべてが失敗してしまったのである。

(4)アメリカを中心とする民主世界の失敗

   中世におけるキリスト教の腐敗・堕落から、この地上に共産主義的唯物論が現れてくるようになった。それゆえ、共産主義問題に対しては、誰よりもキリスト教が責任をもって解決しなければならない問題であった。そのために第二次大戦後、キリスト教を中心とする民主世界の国家群は、共産世界の何たるかを見抜いて、この地上から清算しておかねばならなかった。
   しかし彼らはその本体を見抜けず、ヨーロッパにおいて、そしてアジアにおいて戦後処理を誤り、共産勢力の拡大を次々と許す結果 となった。その中でも摂理の中心である韓半島において、米ソを背景に南韓と北韓が対峙する結果 となり、キリスト教を中心として歴史以来初めて訪れた世界統一のための使命を果 たすことができなかったのである。


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