(1) さらなる蕩減(とうげん)路程の出発 韓国軍および国連軍は鴨緑江の近くまで北進していったが、中共軍の介入もあって後退せざるをえなくなった。そして12月2日には、全平壌市に後退命令が出された。先生の故郷にはご家族たちがおられたが、先生はその人々以上に行方がわからない弟子を必死に捜し続けておられた。 それは再出発の基台となる人々を復帰し、人類の救いの道を開いてからでなければ、ご自分が愛する人々を救うことができない原理があったからである。 獄中で弟子となった朴正華氏は8月に出監していたが、国連軍のもとにあった治安隊により取り調べられ、「大隊長までやったお前は共産党だ」として足首を角材でたたかれ、骨が折れてしまい、家にとり残されていた。 先生一行は彼を発見し、自転車にまたがせて、12月4日に南下の途についた。避難民としては最後の群の中の人々であった。 ここから始まった南下の路程は、再出発のための基台を復帰するさらなる蕩減路程の出発の路程であり、文字通 り生死の境をさまよい、僕(しもべ)の僕からの道を勝利していかねばならない期間であった。 それゆえに、避難民の中で誰よりも苦難の道を歩み、その中で神に対する絶対的忠誠と人類に対する神の愛の実践の道を越えていかねばならなかったのである。