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世界基督教統一神霊協会(統一教会)
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家庭的勝利基盤造成の摂理
(真の父母を中心とする第一次七年路程)
(1960・3・27~1968・1・1)
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(1) 文先生ご夫妻の聖婚
地上天国実現のための家庭的摂理が出発するには、アダムの失敗を蕩(とう)減(げん)復帰する神と一体となった男性と共に、堕落したエバの失敗を蕩減復帰する神と一体となった女性が必要であり、神が共にあることのできる真の父母がこの地上に確立されなければならなかった。
そのために、1960年3月27日(陰暦3月1日)に「父母の日」が宣布され、4月11日(陰暦3月16日)には文鮮明先生と韓鶴子夫人の聖婚式が挙行された。
(2) 韓 鶴子 (ハンハクジャ)夫人
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(1) 誕生 韓鶴子夫人は1943年、洪
順愛(ホンスネ)ハルモニが30歳のとき、文先生と同じ陰暦の1月6日の午前4時半、平安南道の安州の信里という村で誕生された。
洪家の家系は三代続けて娘一人の家系であった。洪ハルモニは熱心なキリスト教徒の母のもとで育ち、いつも「もっと高い教会はないか」と捜していたが、聖主教団の金聖道ハルモニに出会い、そこで15年間信仰を続けられた。
そののち腹中教のもとで再臨主の降臨を待っておられた。韓鶴子夫人の父は「洪(ホン)唯(ユ)一(イル)という人の娘を嫁とするように」という神の啓示を受けて、洪ハルモニと結婚したのであった。
ところが洪ハルモニの親は婿養子として韓氏を迎えようとしたが、彼は拒否して家を出ていったのである。韓鶴子夫人がお腹にいる7か月目のことである。
韓国ではお産の後にワカメの汁を飲む習慣があり、それを飲んでいると、サタンがやってきて「その女の子をこのまま置いておいたら、これから世界は大変なことになるから殺してしまえ」と言うのである。その1週間後、金聖道ハルモニが霊界から現れ、「順愛よ、お前はその子の乳母のごとくなって育てよ」と啓示された。
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(2)南下
韓夫人が6歳のとき、洪ハルモニと共に共産党に捕らえられ、11日間牢屋生活をされたが、再臨主が南にいるとの啓示を受けていたので、夜中に脱出し、洪ハルモニの母と三人で38度線の国境まで逃げていった。ところがそのとき、韓国の兵士たちが発砲してきた。
すると幼い韓少女が韓国の歌を歌うのを聞いて撃つことをやめたのである。そして北から逃亡してきたことを話すと、「こんなにかわいい子供を連れて苦労してきたでしょう」とあたたかく迎えてくれ、ソウルまでのお金をくれたのである。
途中で、主が南韓におられることを知って、道路の上でも、三拝敬礼をしながらソウルへ向かわれた。ところが洪ハルモニの弟が軍人でソウルにおり、どのようにして会おうかと思い祈っていると、ちょうど弟の友人が通
りかかり、会うことができたのである。
また、その後、6・25動乱が起こり、洪ハルモニ一行が特別
列車で避難する途中、漢江を渡るや否や、そこの鉄橋が国連軍によって爆破されたのである。そのようにして、いつも神に守られ、導かれてきたのであった。
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(3)先生との出会い
その後大(テグ)に滞在したが洪ハルモニは、韓夫人が成長するにしたがい、周囲の人々の注目の的となってきたため、罪に染まらないよう、清く育てるため、済州島に連れて行って生活をされた。それから弟の家のある春川に移り、そこで統一教会に伝道されたのである。
それで洪ハルモニは教会で奉仕の生活をするため、ハルモニの母と韓夫人は弟が引きとることになった。そして洪ハルモニは炊事をはじめ、文先生のもとで侍る生活をされた。
韓夫人が文先生に初めてお会いしたのは14歳の中学校のときであった。
夫人が深々とお辞(じ)儀(ぎ)をすると先生は「お前にもこんなにかわいい娘があったのか。勉強は良くできるのか?」と聞かれた。この時のことを韓夫人は次のように語られている。
「当時は母と一緒に入教したばかりだったのですから、1960年に何が起ころうとしていたのか、知る由もありませんでした。
初めて先生にお会いしたとき、先生は私をご覧になって、とっさに一瞬目を閉じて黙想された後に、心の中で囁(ささや)くように言われたのです。『神よ、あなたはこんなにすばらしい女性を韓国にお与えになりました。感謝いたします』と。
そして『名前は何と言うのか?』と尋ねられましたので、『はい、私は韓(ハン)鶴(ハク)子(チヤ)と申します』と答えました。先生はその時ほとんどひとり言のように言われたのですが、私にはそう聞き取れたのです。その時は、この宗教の教祖である先生が、自分の将来に関して特別
な感動や啓示を受けておられる様子を見て、不思議に思いました。
そして1960年の3月16日の聖婚式の1か月前に、先生が幻に現れて特別
な啓示を与えられたのです。『その日が近づいたから準備をしなさい』と。私はその時、どうして自分にそんなにも大きなことの判断ができるだろうかと思いましたから、無私になる以外にありませんでした。
そして、『今でも私はみ意(こころ)のままに生きてまいりましたが、今神のみ意(こころ)が何であろうと、神の摂理の目的が何であろうと、私はあなたの僕(しもべ)として、どんなことでもお命じになることに従います』と祈らずにはいられませんでした。
私のその頃の生活は、ほとんど修道女の生活のようなものでした。男性と行動を共にすることは一切避けていましたし、まるで温室の中に咲く特別
な一輪の花のごとくに、完全に外の環境から自分自身を隔離していたのです。
もちろん今となっては、それがいつの日か主にまみえ、主の花嫁となる者の聖別
のための、天の準備であったことがわかりますが、当時の私は何も知らなかったのです。
ですから男性たちに対しては、ほとんど完全に無視しているようなもので、まわりにいる少年や男性たちを、自分から見ることすらありませんでした。男性を見るだけでも何か罪深く、清くないことに感じられたからです」。
(3) 人類の真(まこと)の母の道
この地上に神を中心とした家庭的勝利基盤が造成されるには、まず人類の真の父母が立たなければならない。では人類の真の母となる女性が勝利しなければならない道とはどのような道なのか。それは堕落したエバの失敗を蕩(とう)減(げん)復帰しなければならない道である。
エバは三つの課題を勝利することができなかった。第一に神の子としてすなわち神の娘として神の前に絶対的忠誠と信仰を立てることができなかった。
それゆえ、蕩減復帰路程において、神から見捨てられ、自分のすべてを否定される道に追いやられる中にあっても、神の前に神の娘として絶対的忠誠と信仰を立てなければならない。
第二に神から将来の夫として与えられたアダムの相対としての勝利基準を立てられなかった。むしろそのアダムを誘惑し、堕落させてしまったのである。それゆえ、真の母となる女性は、天から与えられたアダムからいかなる命令、仕打ちがあったとしても、そのアダムを信じ、その勝利のために絶対的従順と忠誠をもって尽くさねばならない。
第三に、エバは、自分の胎内から生まれてくる子女を神の子女として産み、育て、そして子孫たちに神の国を与える人類の真の母としての勝利基準を立てられなかった。それゆえ、人類のすべての救いと新生のためには、いかなる犠牲をもいとわず、絶対的愛をもって尽くしていかねばならない。
そのような道を、まだ年齢において17歳の韓夫人が最後は自らの責任分担において勝利し、乗り越えていかねばならなかった。韓夫人がどのような道を越えてこられたのかを初めて証されたのは、1977年の5月3日のご聖婚記念日においてであった。その中で次のように語っておられる。
「外見からちょっと見れば、あなた方は一様に、そして単純に、私がとても幸せで、あらゆる面
で完全な方に違いないと思われていることでしょう。しかしそれに反して、先生がそういう位
置につくべく運命づけて、苦難と十字架の道を歩まれるかぎり、私もまた信じられないような、耐え難く、負い難い十字架を与えられるのです。
その達すべき基準はあまりにも高かったので、時にはゴールに達することが本当に不可能にすら思えました。その使命を果
たし、神の期待に応えるためには非常なる厳しい試練と苦難と驚異的な信仰が必要でした。
ひとたび、このような事情と自分が歩んできた路程について思い出すとき、私は思わず涙せずにはいられません。なぜなら、これらについて語っていると、苦難と試練の記憶のすべてが蘇(よみがえ)ってきて、私にはそれを語ることはとても大変なことなのです。
神は、先生を試練されたとまったく同じように、私に何度も何度も試練を与えられました。そしてサタンもまた、イエス様と先生を試練したように私を試練したのです。メシヤの通過されたと同じような苛酷なる厳しい試練を、このか弱い女性が通過しなければならなかったのですから、あなた方には信じられないような道でした。
私は地獄の最低の底を通
過し、その苦い味を味わったのです。『これ以上こんな難しい道を歩み続けることはできません。絶対に不可能です。神よ、なぜ私にこんな道を行けと言われるのですか』と問うたことも数えきれないほど幾度もありました。私に必要だったのは、まさにうむことのない不屈の信仰と決意と忍耐でありました。
しかし一方でまたこの頃は、自分の上に絶えず訪れた神の恵みを最も感じた時でもありました。私が苦闘のただ中にあるときにも、神はご自身を顕わしては、啓示を与え、導いて下さいました。そういう直接の導きのないときも、まわりにいる、私を愛し守ろうとしている人々を通して絶えざる導きと日々の指示を与えられたのです。
ですからその頃は、かくも厳しい試練と忍耐と困難の時であったにもかかわらず、同時にこの時こそ最も美しく、神の愛と恵みの満ち溢れた、まさに神が共にいまし給うことを実感しえた時でもありました」。
このように韓(ハン)鶴(ハク)子(チヤ)夫人が1960年から歩まれた道は、神様が、そして文先生が越えていかれた公式路程の道であり、夫人もまた、地獄の底から、僕(しもべ)の僕からその道を上がっていかなければならなかったのである。
1960年から1967年までの7年間の中で、最初の3年間は神の前に、またサタンを屈伏させるために個人的に勝利した女性となるための闘いの期間であり、次の4年間は家庭的な段階における闘いを勝利する期間であった。
(4) 人類への神の祝福
このようにして文先生ご夫妻が堕落したアダムとエバの失敗を蕩減復帰していかれる中で、サタンの主管下にあった人間がサタン屈伏のための蕩(とう)減(げん)路程を勝利することを通
して次々に神の子女として新生する道が開かれ、その上で神によって祝福された家庭がこの地上に繁殖していくようになったのである。
1960年4月16日(陰暦3月21日)には3組、1961年5月15日(陰暦4月1日)には33組、1962年6月4日(陰暦5月3日)には72組、1963年7月24日には124組に対する神の祝福が成された。
3組と33組を合わせた36家庭は3時代の12家庭を象徴した氏族的基台であり、72家庭は36家庭のカインとアベルが一体化した民族的基台であり、124家庭は世界の国家を象徴した基台である。
(5) 四大名節
1960年3月に「父母の日」が宣布されると、11月19日(陰暦10月1日)には「子女の日」が宣布された。すなわち神が共におることのできる真(まこと)の父母がこの地上に立つことによって、堕落人間が神の子女として新生する道が開かれ、真の父母の前に生涯忠誠を尽くす真の子女が現われることのできる時を迎えた。
さらに真の父母と真の子女が一体となって、神の創造理想にかなう立場で人間が万物を主管できる時を迎えたため、1963年7月26日(陰暦5月1日)には「万物の日」が宣布された。
これらの勝利的土台の上で、1965年1月から1966年1月まで韓国を含め、世界の40か国を訪問し、120か所の聖地を決定して、真なる家庭を中心として勝利された基盤を世界に連結させたのである。
このようにして、真の父母と真の子女と万物が一体となった土台の上で、真の愛を中心とした創造理想が完成できる基準を備えるようになり、この地上に家庭を中心とした神の臨在の基準を立たせることができるようになった。
そのため、1968年1月1日に「神の日」が宣布されることとなった。今日まで歴史の中にはさまざまな多くの記念日があったが、本当の意味で神を中心とした記念日はなかったのである。
(6) 真の父母を中心とする第一次七年路程の勝利
この7年間は、この地上に最初の神を中心とした家庭的基盤を造成する摂理のために、文先生のご家族が信じられないような、想像を絶する試練の期間を通
過せねばならなかった。
先生の一家をめぐって、教会の内外を問わず、さまざまな非難、中傷、噂、誤解が渦を巻いたのである。そのような中で先生の心を占めていたことは、韓夫人が襲いかかるあらゆる試練に耐えて、乗り越えていけるかどうかということであった。
それゆえ、勝利された神の日において、文先生は「この勝利したエバを見て下さい」と泣きながら感謝の祈祷をささげられたのである。
このようにして真の父母の家庭が確立されると共に、神の祝福を受けた家庭が拡がり、この地上に神の氏族的基盤が築かれた。
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