世界基督教統一神霊協会(統一教会) 世界基督教統一神霊協会(統一教会)
UC-Japan
ヘルプ連絡はこちら会員の皆様へサイトマップお読みください
統一教会について-創始者

HOME
統一教会について
創始者
1章(1)
1章(2)
2章(1)
2章(2)
3章(1)
3章(2)
4章(1)
4章(2)
・ 4章(3)
4章(4)
4章(5)
4章(6)
歴史
信仰と教え
最寄の統一教会
祝福について
最近の出来事
3 国家的勝利基盤造成の摂理
(真の父母を中心とする第二次七年路程)
(1968・1・1~1975・6・7)
 


(1) 日本への伝統と使命の相続

   世界にアダム国家としての国家的基盤が築かれるには、民族的基盤が必要であり、かつアジア的基盤が必要であった。そのために第二次七年路程を出発する前に、エバ国家として選ばれた日本に伝統と使命を相続する摂理がなされた。
   文先生一行が聖地決定のために1965年に二度来日されたが、1967年6月にも来日され、8月まで約2か月間滞在された。その間、文先生ご夫妻を中心として韓国において築かれてきた信仰の伝統の相続がなされた。特に日本の責任者クラスの百数十名を集めて原理大修練会が開催された。
そこで劉孝元協会長による講義と文先生のみ言が語られ、み言の伝統の相続がなされた。
   また、幹部の先生たちによる信仰指導がなされた。さらには、今後、日本統一教会が世界人類救済のために、神の国実現に向かって果 たしていくべき多くの使命を与えられ、1968年からの第二次七年路程に向けての準備がなされていった。

(2) 祝福家庭の繁殖

   第一次七年路程に続き、神の祝福家庭基盤が拡大されていった。1968年2月22日には436組、1969年2月から5月にかけて43組、1970年10月21日には777組の祝福の合同結婚式が挙行された。430という数字はイスラエル民族が出エジプトするまでの430年である。しかも1968年は檀(だん)紀(き)4300年の年であった。
   それゆえ、民族解放を願って、韓国全土にわたる国民がみ旨に立つ道を開く意味で436組の祝福がなされた。そしてその基台の相対的基台を世界に造ったのが43組であった。また777組には世界10か国から参加したが、これにより家庭的理想を中心として世界中どこの国でも神に立ち返る道が開かれたのである。

(3) 超教派運動

   統一教会と既成キリスト教会の一体化が果たされない中で現代の摂理が延長してきたが、国家的・世界的摂理を進めるには、どうしても一体化の道を模索せねばならなかった。そのため1966年11月7日に韓国においてキリスト教超教派運動本部が設立された。
   それ以後、各教派教職者懇談会、諸教会連合の復興会、各教派教理公聴会などを開催しながら、神のみ旨のもとで一つになる摂理が展開された。その結果 、原理公聴会には3000名の牧師が参加するに至った。この運動は日本においても進められ、さらにアジアへも展開していった。

(4) 国際勝共連合の創立

   キリスト教に指導されたアメリカを中心とする民主世界が共産主義問題を解決できなかったがゆえに、それに代わってその使命を果 たすため設立されたのが国際勝共連合であった。1968年1月13日に韓国で、そして同四月には日本で設立されていった。
   それは単に反共を叫ぶだけに止どまるのではなく、共産主義思想の誤りを指摘し、代案を提示し、具体的に共産圏の人々を救っていこうとするものである。その活動のゆえに、韓国内では北韓から韓国を守るためには勝共でなければならないという支持基盤が築かれていった。
    また韓日勝共大会、アジア勝共大会などを開催する中で、日本と中華民国を連結したアジア的勝共基盤が築かれていった。そして1970年9月には、日本の武道館において世界反共大会(WACL)が行われた。

(5) 渡米の摂理

   そのようにして韓国を中心としてアジアに基盤が拡大されていったが、最後はアジアを代表する国家が神の摂理と一致した方向をとれるか否かによって、アジアの運命が決するのである。ところが、韓国と日本と中華民国とアメリカが結束していかなければならない時に、韓日、韓米、日米、日台、台米などの国家関係が悪化し、逆に日中、米中、日朝、日ソ、台ソの接近というような動きが展開していったのである。
   そのために文先生はさまざまな人物を通 してそれらの国家の責任ある人々に行くべき方向を訴えたが、なかなかその声に耳を傾けようとはしなかった。また既成教会の牧師たちもキリスト教に対する神の願いがわからず、統一教会に対する反対と迫害が続いた。もしアジアが神の摂理と一致できなかった場合には、アジアはサタンの主管するところとなってしまう。
   そのことを誰よりも知っておられた文先生は、アジアでの摂理を立て直すために、またアジアのキリスト教の不信を蕩減復帰するためにアメリカに向かわれたのである。渡米のもう一つの理由は、アジアにどんなに基盤ができても、アメリカが崩壊した場合にはアジアの共産化を防ぐことはできない。それゆえ、アメリカそのものを覚醒し復興させるために、1971年12月渡米されたのであった。

(6) 「アメリカよ、神に帰れ」

   アメリカに行ってみると、キリスト教が力を失い、人々の心には建国の精神が消えうせ、かつての栄光ある姿はなかった。個人主義に毒され、人々の精神は荒廃し、暴行・殺人・麻薬・フリーセックスなどがうずまく病める大国となっていた。
   そこで先生は世界の10か国から教会員を集め、1972年2月からリンカーン・センターでの講演を皮切りに、アメリカの7大都市、ヨーロッパの2大都市で講演をされた。また、1973年10月から74年にかけて、「危機に瀕するキリスト教と新しい希望」と題する三日連続の講演が21か都市で行われた。そして、神に帰る以外に、すべての問題の解決の道がないことを訴えられた。
   一方、文先生は1972年4月、韓国に統一神学校を開校され、同年10月には、原理を思想的に体系化した統一思想の研究院を創立された。
   その院長として李相憲氏が就任した。また、同年11月にはニューヨークで第1回「科学の統一に関する国際会議」(ICUS)を開催し、その後毎年開かれ、そこには多数のノーベル賞受賞者を含む学問研究のあらゆる分野の学者たちが一堂に会するようになった。
   そこにおいて先生は、科学と道徳の関係について語られ、科学は価値に無関心であってはならず、科学が人間社会の改善と真なる繁栄のために貢献すべきであり、そのために絶対価値を明確にすべきことを語られた。
   また、1973年5月には、現代文明の危機に関心を持つ学者たちを集め、世界平和の理想を実現する新しい方法を提案していく世界平和教授アカデミー(PWPA)が、文先生の提唱により発足した。

(7) 「許せ! 愛せ! 団結せよ!」

   1972年6月、ウォーターゲートの民主党本部への盗聴事件が発覚した。そのため、アメリカの威信は地に落ち、ニクソン大統領に対する糾弾の声が高まった。その中で文先生は、1973年11月30日にウォーターゲート事件に関する声明文を発表された。
   「アメリカは『我ら神を信ず』という精神に帰らなければなりません。ただ批判を続けていけば、アメリカは大きな危機に陥ってしまいます。アメリカは、ウォーターゲート事件を契機にキリスト教の伝統である愛と許しの心によって団結し、神のみ旨に生きなければなりません。許せ、愛せ、団結せよ」と。

(8) ニクソン大統領との会見

   1974年2月1日、文先生はホワイト・ハウスに招待され、ニクソン大統領と30分にわたり会談された。先生は「お祈りから始めましょう」と言われ、祈られた。そして「アメリカに与えられた神の祝福はアメリカ人のためだけの祝福ではありません。祝福には必ず責任が伴います。
   その責任とは、神の摂理の中で世界救援のために貢献することです。あなたは、このような歴史的立場で選ばれた神の僕(しもべ)です。それゆえ、あなたが神にあって信念を持ち、その目的のために私たちと協力していくならば、あなたは歴史上最も偉大な大統領となるでしょう」と語られたのである。

(9) 実体的カナン復帰への道の挫折

   その後、先生は2月15日から32か都市で「キリスト教の新しい未来」のテーマで3日連続の講演を続けていかれた。また5月7日には東京の帝国ホテルで「希望の日」晩餐会を開催し、福田赳夫大蔵大臣(当時)をはじめ1700名を招いて、「為(ため)に生きる」という内容のメッセージを語られた。
   この時期においてニクソン大統領を中心とするアメリカと日本と韓国が神の摂理の方向において一体化し民主世界が結束していったならば、実体的カナン復帰の道が開かれていく時であった。
   ところが8月8日、ニクソン大統領が辞任してしまった。このために、その後、インドシナ半島やアフリカにおいて次々に共産化が進んでしまうのである。また韓国においても朴大統領の側近のキリスト教徒たちが反対して、国の行くべき道を阻んでいた。
   そのような時、8月15日に朴正煕大統領が光復節記念式典で演説中、大阪在住の文世光によって狙撃され、陸英修大統領夫人が被弾し、死亡した。また11月15日には北韓によって掘られた第一番目の南進トンネルが発見された。
   日本の戦後の歩みは、自国の経済的利益と繁栄を求めて歩んできたため、エコノミック・アニマルと世界から指摘されるようになった。しかし、そのようにして日本に与えられた祝福を、より公的に、すなわちアジアと世界の救いのために用いることが、より日本を生かし発展させる道であった。
   ところが、そのような神の摂理の方向への道を訴えたが、政府も国民も耳をかそうとはしなかった。
   1974年10月以降になると、ロッキード問題で日本の政界・財界が大きく揺れ、与党は分裂していった。

(10) 第二次七年路程勝利に向けての摂理

   このような状況の中で、文先生は摂理の勝利に向かって歩まれた。ニクソン大統領が辞任した後、9月18日にニューヨークにあるマディソン・スクェア・ガーデンで二万数千名を集めて「希望の日」大講演会が開催された。
   会場の外では中に入ることができない多くの人々が、スピーカーで文先生の講演を聞いていた。この大会を皮切りにアメリカの8大都市での大講演会を開催し、大勝利に終わった。10月8日には国会議事堂に招請され、講演を行なった。
   このようにして、文先生は72年からの3年路程で世界的キリスト教国であるアメリカ国民から歓迎され、一体化した条件を立てられた。この摂理の勝利のために全世界からアメリカにやってきて貢献した国際統一十字軍(IOWC)が、その勝利を韓国にアジアに連結させるため、1975年に入って日本と韓国で全国を縦断しながら「希望の日」フェスティバルを行なった。2月13日には日本武道館で講演会が開かれ、文先生がメッセージを語られた。
   また韓国においては、1月16日に朝鮮ホテルで晩餐会を開き、丁一権国会議長をはじめ、700名を越える著名人を前にメッセージを語られた。 ある国会議員は立ち上がり、次のように証した。
   「私は20年前に統一教会に行ったことがありました。しかしその時はバラック小屋で文先生にお会いしましたが、これほどの偉大な思想を持っているお方であったとは想像もつきませんでした。今、このように大きくなった教会を見て驚くばかりです」。
   そして、1975年の6月7日にヨイド5・16広場で「救国世界大会」が開かれ、世界60か国の代表千余名を含む120万人が参加した。そこで文先生は「世界の中の韓国」というメッセージを語られた。「共産主義は神を否定する恐るべき思想であり、人類を誤った方向に導くものです。
   これに打ち勝つには、真理に立脚した次元の高い精神的理念と思想武装によらなければなりません。檀(だん)君(くん)以来の優れた歴史と文化を持つ韓国は、神が導き守られた国として今後とも自由陣営の団結に貢献すべきです」と訴えた。
   この大会で政府と国民が支持し、文先生と一つになったことにより、2000年前にユダヤ国家とユダヤ民族とユダヤ教が一つになってイエス様を追い込んだことを蕩(とう)減(げん)復帰し、実体的な国家基準を立てるようになったのである。 本来、第二次七年路程の期間は1968年1月から1974年12月までであった。
   しかし、摂理の展開からそれまでに勝利することが困難となったため、半年延長して1975年6月のヨイド大会でようやく第二次七年路程を終結することができたのであった。このような勝利的基準が立たなかった場合には、アジアは共産化の道を歩まざるをえなかったが、その危機を乗り越えて、第三次の摂理に出発することができたのである。


創始者   トップへ

HOME  創始者  このページのはじめ

世界基督教統一神霊協会(統一教会) 東京都 渋谷区 松涛 1-1-2
Copyright(c) 1997- 2008,HSA-UWC. All rights reserved.