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(1) 第三次七年路程の前三年
第三次七年路程は、1975年、76年、77年の前三年と78年、79年、80年の後の三年に分けられる。その前三年においては、韓国にあって、イスラエルが失ったすべてを蕩(とう)減(げん)復帰した国家基盤を世界的キリスト教圏の中心であるアメリカで完成させ、世界的な霊的基盤を造らねばならない。
そしてその上で後の三年で、世界的問題を完全に蕩減して、世界的な肉的基盤を造っていくのである。このことにより、2000年前、イエス様とイスラエル国家が一つとなり、さらにローマと一つとなって世界的基盤を造っていかなければならなかったことを蕩減復帰していくのである。
第二次七年路程の終結はヨイド大会であったが、第三次7年路程の摂理は1975年の1月からスタートしていた。それで先生は世界の中心国家であるアメリカを中心として摂理を進めていかれたが、それ以外の世界の国々へ日本人とアメリカ人とヨーロッパ人の三名からなる宣教師たちを派遣するようになったのが、4月以後であった。
1975年2月8日には1800組の国際合同結婚式が挙行されたが、特に日本からは、その新郎たちが新婦を残し、世界の国の人々の救いのために出発していったのである。
また1975年の1月1日からは、日本において日刊新聞「世界日報」がスタートした。今日の時代においてマスメディアは絶大な力を持つに至った。その報道される内容が良かれ悪かれ、世論作りに多大な影響力を与えていくのである。
ベトナム戦争では、マスコミによってアメリカは完全な悪者にされ、敗北に追いやられてしまったとも言えるほどであった。その是正のための第一弾として「世界日報」が設立された。
(2) ヤンキー大会
1976年は神の摂理から見て、またアメリカにとって、その運命を決する重要な年であった。アメリカは2000年にわたるキリスト教の信仰の恩恵を受けて栄えた国である。その期間は20数であり、1776年の独立宣言がなされてから200年後の1976年までである。
それまでにアメリカが神の願う国として立てば栄え、神の摂理に一致しなかった場合は天運が去っていくという重大な年であった。そのために、1976年に大会を計画された。
マディソン大会が蘇生期の大会とすれば、ヤンキー大会は第二の立場の長成期であり、ワシントン大会が完成期である。第二の立場が勝利しなければ、蘇生期の芽は摘まれてしまい、また完成期に至る道も阻まれてしまう。
しかし、勝利すれば長成期を越えていくため、堕落圏を越えていくことになる。この大会前に、先生の命を狙う人々が来るという情報があり、集まってきた人々のボディ・チェックをしていると、4丁の銃を持った2人組がみつかり、逮捕された。
大会当日の6月1日、朝から曇っていたが、夕方近くなって激しい突風が吹き、大雨が降りだし、ヤンキー・スタディアムの会場は水浸しとなった。
その時、会場から「ユー・アー・マイ・サンシャイン」の大合唱が始まり、雨の中で3時間近く互いに肩を組み、天に向かって歌い続けた。ブラスバンドも2時間演奏を続けていた。するとその雨が止み、人々がつめかけてきた。35分遅れで開幕となり、そこで先生は「アメリカに対する神の希望」と題して、集まった5万人の人々に天のメッセージを伝えたのである。
(3) ワシントン大会
ワシントン大会は当初1977年に開催の予定であったが、76年に繰り上げられた。そして40日間の準備期間の中で成された。9月18日の歴史的大会に50万人の人々がワシントン・D.C.に集まってきた。そこで文先生は「アメリカと神のみ旨」というテーマで語られた。
そこで歴史の中で中心的立場に立ってきたユダヤ教とキリスト教と統一教会が一つになって世界の宗教を統一し、三つの宗教の基盤であるイスラエルとアメリカと韓国が一つになって世界の統一のために貢献すべきことを訴えられた。そして最後に人々にその決意を促された。
「アメリカは神中心主義によって共産主義世界を解放しなければなりません。そして最後には、地上に神の国を造らなければなりません。明日ではもはや遅すぎるのです。アメリカは、もう神を悲しませてはなりません。今日、我々は全能の神に誓いましょう。『我々は神のみ意(こころ)を果
たします』と。『我々は決して再び神を苦労させるようなことはしません』と。
この地上に神の国の礎石を築きましょう」。
文先生は、2000年前、神がイエス様を通して果たそうとされたみ旨の道が、家庭によって阻まれ、氏族に阻まれ、ユダヤ教に阻まれ、イスラエル民族に阻まれ、国家に阻まれた恨みを解放してこられた。
そして、最後に、ローマを通 して世界に至る道が阻まれた神とイエス様の恨みを、ワシントン大会を通して解放することができたのである。
(4) 天勝日と天地勝利の日
ワシントン大会には、全世界の人類を代表するすべての人種が集まり、神のみ旨を中心として文先生と一つになった。そのことにより、イエス様の果
たせなかった使命を再び引き継ぐ人物が現れる必要性は全くなくなった。
文先生が勝利された基盤を通
して必ずみ旨が成就するという条件が立ったのである。そのために1976年10月4日に天勝日(天の勝利の日)が宣布された。
また、文先生を中心としてこのような勝利がなされた背景には韓夫人の働きがあった。その支えなくして天の勝利はありえなかった。その上で、1977年2月23日は文先生ご夫妻の聖誕日であったが、特に韓夫人が33歳を越えられ、34歳を迎えられた。
神のみ旨のために、この段階まで使命を果
たし神が相対できるアダムとエバ、すなわち人類の真の父母が立たれたがゆえに、天地勝利の日が宣布され、新しい時代が出発したのである。
(5) 第三次七年路程の後三年
本来は77年までの前三年で勝利すべきであった摂理を、76年に繰り上げられたワシントン大会で勝利したため、後三年で成就すべき神のみ旨は、ワシントン大会後からスタートすることとなった。大会二日後の9月20日にベルベディアにて「ワシントン大会後の我々の使命」、10月5日に「伝道と世界的使命」のみ言(ことば)を語られた。
その結論は「あなた方一人一人が、神の代身者、私の代身者、もう一人のサンミョン・ムーンとなって、最後のゴールを目ざして責任を果
たしなさい」ということであった。
神のみ旨は、神と人間の両者が責任分担を全うして成就する。したがって人間においても、父母と子女の両者が責任分担を全うして使命を果
たすことになる。先生はその責任をすべて果たされた。それゆえ、最後の世界的実体的カナン復帰を、子女たちの責任で果 たしていく時代に入っていくのである。
(6) 1976年の大統領選挙
その最初の摂理が76年の大統領選挙であった。アメリカ国民は世界の中心国家の大統領として、どのような人物を選出するかということが、具体的に世界の動向を大きく左右する。そこに向けての40日間の戦いが始まった。しかし、結果
としては、神の摂理と逆向する立場をとるジミー・カーター氏が当選することとなった。
人権外交を公約にしたが、それは共産世界に向けられたのではなく、特に共産主義に悩む民主世界の韓国や中南米などの国々に向けられた。また、カーター大統領の方向は、在韓米軍撤退を主張したように、アメリカはもう世界のために犠牲になりたくはないというものであった。
しかし、共産世界から民主世界を守れるのはアメリカ以外にないため、文先生は、まっこうからカーター大統領に対して批判せざるをえなかった。そこから、アメリカ政府による統一教会への激しい攻撃が始まったのである。
(7) フレーザー委員会
民主党でミネソタ州出身のドン・フレーザー下院議員が委員長となったフレーザー小委員会は、まず、文先生の特別
補佐官の朴普煕氏に対して攻撃を始めた。
統一教会は韓国の中央情報機関(KCIA)のもとで活動していて、朴普煕氏はKCIAの工作員だというのであった。特に1977年9月に韓国人実業家朴東宣氏が「アメリカ政界への贈賄」などの罪で起訴されたコリアゲート事件と同様のものとして、統一教会を追放しようとしたのであった。
そのため、1978年6月22日、朴普煕氏は逆にフレーザー議員を名誉毀
損で訴えたのである。ところが9月に開かれた民主党の予備選挙で、大方の予想に反してフレーザー氏は落選した。
(8) 子女の8段階の公式路程の道
子女たちがもう一人のサンミョン・ムーンとなって子女の責任を果
たすためには、文先生が今日まで歩んで勝利された個人から神までの、僕(しもべ)の僕から神までの8段階の公式路程を子女たちも勝利していかねばならない。
まず個人路程において原理を体(たい)恤(じゅつ)して神を中心とする価値観を持ち、神を自らの親として、堕落性本性を克服しながら自己主管を勝利し、旧約・新約時代を蕩(とう)減(げん)復帰するサタン分立の蕩減路程を勝利していくのである。
神の前に罪を犯し、神の愛に反逆した立場から、その蕩減として公的な神のみ旨のために仕えていく自己否定の道を歩むのである。
しかし、それは単なる蕩減路程ではなく、いつも自分のことのみにとらわれている自分から、自分以上にもっと神のみ旨を優先し、世界のために、他のために生きようとする精神が自らのものとなっていく、自己再創造のための路程なのである。
また、伝道するのは、神の摂理を進めるためであり、過去の歴史の蕩減復帰のためでもあるが、自分が神の代身となって人の生命を神の愛をもって生かすことを通
し、神の愛を自らのものにしていく再創造のためのものでもある。
そのようなサタン分立のための蕩減条件を立てた上で、神の祝福を与えられ、文先生が第一次七年路程で勝利された伝統を相続した家庭的四位
基台を造るのである。
次に第二次・第三次七年路程で勝利された人類の真(まこと)の父母の立場を相続するために、人類を代表する360軒の人々の救いのために尽くし、その上で故郷に帰り、自分の家族・親族を救っていくのである。そのことによって、真の父母の代身としての氏族のメシヤという位
置に立つのである。そのための摂理がホーム・チャーチの摂理であった。
そこで文先生は1978年からホーム・チャーチについて語られ始め、子女たちがそれを勝利することを願われ、1979年から5年間の年頭標語はホーム・チャーチを中心とするものであった。
すなわち全世界において教会員たちが、ホーム・チャーチを通
して社会的・氏族的基盤を造ることによって、その土台の上で実体的カナン復帰の道を開こうとする天の計画であった。
(9) 実体的世界的カナン復帰に向けての摂理
1975年の「世界日報」に続き、1976年12月31日からアメリカで日刊新聞「ザ・ニューズ・ワールド」が発刊された。また1978年10月にニューヨークにおいて、第1回世界言論人会議が開催され、世界言論人協会(WMA)がスタートした。
また1977年には、統一教会とアメリカのキリスト教会が合同して教会と社会活動のための全国会議(NCCSA)を創立した。
宗教界が積極的に社会改善にとり組むため、アメリカの都心部の必要に応じて多数の企画を後援している。また、世界で貧困、栄養失調、病気に苦しむ人々のため、1980年に公共・非営利機関として国際救援友好財団(IRFF)を設立された。
また1980年3月には新超教派研究協会(New
ERA)を設立された。ここには宗教・社会学者や宗教史家、それに東洋、西洋、アフリカの主な伝統的宗教界の神学者たちが参加している。
また、1980年に文先生は中南米の国々の緊急の要請に応えて、CAUSAインターナショナル(ラテン語で、原因、主義、運動という意味で、すべての自由人の提携と大志を象徴している)を設立された。
それは共産主義と闘うラテンアメリカのために、思想的バックボーンを提供してほしいというものであった。
一方、韓国では1979年10月26日に、朴正煕大統領が側近の金載圭KCIA部長によって射殺された。その後、1980年8月に全斗煥氏が大統領に就任した。
アメリカにおいても、1980年の大統領選で、レーガン氏がカーター氏に圧勝し、第40代大統領になった。
(10) 第三次七年路程の終結
文先生は、ワシントン大会の勝利によって真の父母を中心とする第三次七年路程における責任を果
たされたが、実体的実体的カナン復帰の道を開くためには、子女が責任を全うしなければならない。そのために先生は、子女が歩む公式路程の道を示され、地上において父母として果
たすべきすべての使命を終えられた。
そして1980年の2月21日には、文先生60歳のご還暦祝いが盛大になされた。その上で、同年4月15日の父母の日に、真の父母を中心とする第三次七年路程の終了を宣言され、それと共に、真の父母を中心とする第1回20年路程(1960年~1980年)が終結した。
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