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(1) 40年前の摂理に帰る
荒野40年路程が終結することにより、カナン定着時代が到来した。すなわち、40年前の1945年の立場に帰ることができたのである。したがって、1945年から1952年までの7年間で実体的カナン復帰の道を開こうとした摂理を、1985年から1992年までの期間で蕩(とう)減(げん)復帰する時代を迎えたのである。
(2) 世界平準化のモデル
今、世界は国家を単位とした世界になっているが、これだけ国際関係が緊密になった時代においては、むしろ国境が障害となっていることが多い。そのためにヨーロッパはEC統合に向かって歩んでいる。
この動きはやがて世界全体に及んでいく。中南米においてもラテンアメリカ統一連合(AULA)が、ラテンアメリカ諸国の協調と統合の促進を目ざして活動している。
アメリカ合衆国はすでにその形ができている。そのような動きの中で一番遅れているのがアジアである。神の摂理から見るならば、韓日中を中心とした世界平準化のモデルとしてのアジア共同体を造り、それを世界の各ブロックに応用展開して援助し、世界全体を平準化していかねばならない。
そのために、1992年を目指して、韓半島の南北の平和的統一、日韓の一体化、中国の近代化のための摂理が開始された。
(3) アダム国家誕生のための摂理
文先生は1985年12月韓国に帰られ、アメリカで荒野40年路程を終結させて勝利された基盤を韓国に連結された。そして韓半島の南北統一のための摂理を展開していかれた。それは1945年当時の「この地上にアダム国家をいかに立てるか」という摂理を蕩減復帰する時代を迎えたからである。
そして40年前、エバ国家のイギリスと、アベル国家のアメリカと、カイン国家のフランスを中心として、民主世界が一体となってその使命を果
たすはずであった。
それと同じように、今日においてはエバ国家の日本(人材・経済力・科学技術力)と、アベル国家のアメリカ(キリスト教・政治力・軍事力・水産)と、カイン国家のドイツ(機械)を中心として民主世界が一体となってその使命を果
たしていくのである。
南北統一が成されるためには、まず韓国が神の願いの上に立たなければならない。1985年12月11日の帰国歓迎晩餐会で文先生は明確に訴えられた。
「私の世界的な勝利の基盤の上で、韓民族と韓国が世界のために生活するようになれば、神は歴史的な祝福を韓国に下さることでしょう」。
そのために世界からきた多くの教授たちが全国各地を巡回講演して、国民の教育と啓蒙を行った。アメリカからは38回にわたり、7000名以上の牧師が訪韓した。
日本からは日韓祝福を受けた多くの日本人がやってきた。韓国自体でも1989年2月に「世界日報」が創刊され、国民啓蒙をなし、また教会員たちが、それぞれの故郷に帰って全国に基盤を造っている。
そうして1987年には「南北統一運動国民連合」を創設し、摂理に対備している。また北韓の解放と救いのために、日本とアメリカとドイツがそれぞれの立場で使命を果
たしていこうとしている。
(4) 1988年までの出エジプトの摂理
1945年から1985年までは40年であるが、88年までは43年である。それゆえに、神の摂理から見て、88年までに出エジプトをなして、カナン定着時代の出発をなさなければならない。そのためには、荒野40年路程の勝利を引き継いだ韓国と全世界が連結されなければならない。
そのような時に、1988年9月に第24回オリンピック大会がソウルで開催された。そこに160か国から集まった選手たちはエサウの立場であり、120か国から集まった統一教会の宣教師たちはヤコブの立場であった。
そこでヤコブがエサウに対して完全なる愛と奉仕と万物とをもって尽くし、この両者が一つになったことにより、その上に真(まこと)の父母を迎えるのである。
特に一勝日においては民主世界までが真の父母と一つになったが、オリンピックを通
して北韓とキューバを除く共産国家が一つになり、とりわけ中国とソ連が一つになって真の父母につながったのである。
そのため10月3日には韓国と世界120か国との姉妹結縁式がなされて「世界統一国開天日」が宣布され、世界統一国への道が開かれた新しい時代を迎えたのである。
(5) 祝福の摂理
世界統一国開天日の宣布後になされた最初の摂理が、10月30日の6516組の国際交差祝福であった。今まで怨讐関係にあった民族国家が、神の愛で一つになった家族を築いていくことによって世界統一国の実現がなされていくのである。
また1989年1月12日には1275組の国際合同結婚式がなされた。
二世を中心とする祝福も、1986年4月に文恩進様・朴珍憲様、1987年3月に文顕進様・郭全淑様、1989年1月文國進様・劉順珠様の聖婚式が成され、さらに1986年4月に36組、1989年1月に72組の聖婚式が成された。
(6) 中国での摂理
中国は近代化を図るため民主世界との交流をなし、学生・青年たちを留学させてきた。しかし、彼らが今日の西側世界の腐敗した精神的影響を受けて帰ってくるため、これからの中国の青年たちをいかなる思想で教育したらいいのかを模索する教授たちがいた。
その中の10名の教授が、1988年8月に日本で開催された第6回アジア教授統一思想シンポジウムに参加したのである。このことはそれまでには想像できないことであった。
そして同年12月の東アジア・シンポジウムの統一思想セミナーには36名の人々が参加した。また、1989年3月のワシントンでの第10回世界言論人会議にも、中国の国営新華社通信から6名が参加した。
また、1989年5月には文先生の国際ハイウェイ構想を知った中国の要請で、国際ハイウェイ調査団が現地を調査した。さらに6月27日には、米パンダ・モーター社が2億5000万ドルを出資し、中国広東省恵州市淡水鎮に自動車工場を建設することが決定し、その一期工事が開始されたのである。
(7) 八定式の宣布と天父主義の宣言
1989年8月31日に、文先生はアラスカ州のコディアックで八定式を宣布された。縦的横的8段階路程の中でアベルがカインを復帰して8段階目の神にまで至ったということは、長子権復帰を完了したことである。
すべての長子権復帰が果
たされれば、真(まこと)の父母の時代・父母主義の時代が到来する。その真の父母の背景が神であるため、天父主義の宣布が天地に宣言されたのである。
天父主義とは真の父母の愛の主義であり、そこには怨讐がなく、むしろ怨讐をすべて許し、救おうとするのである。そのため、そこには王権が確立する。それゆえ、八定式の宣布によって、兄弟主義時代が終わり、天父主義時代に入ったがために、今までのすべての神の怨讐国家を愛し、救う摂理が展開されていったのである。
(8) ソ連の摂理
1989年3月の第10回世界言論人会議に、ソ連の政府機関紙イズベスチヤ、ノーボスチ通
信から12名が参加した。そして文先生と韓夫人とのインタビューの内容をソ連の情報誌にそのまま掲載したのである。
そして10月には訪韓訪日して統一運動の全体を見学していった。彼らの口から出た言葉は次のようなことであった。「統一運動はこれだけの短期間に、どのようにしてここまでの基盤を築くことができたのか?
その力の源は何なのか?」。このことは共産世界において切実な問題となっている。「やる気」の芽を摘んでしまい、「やる気」がなくても生きていける社会・国家はやがて滅んでしまう。このことを気付くのに、あまりにも時間がかかり過ぎた。
(9) 文先生の古稀の祝賀
1990年2月1日に文先生ご夫妻はご聖誕日を迎えられた。特に文先生の古稀(満70歳)を祝う祝賀行事が2月1日から6日まで、ソウルを中心に韓国全土(3561か所)で盛大に開催された。
ソウルでの式典では世界から統一運動を支援する前・現職大統領および首相など各界の著名人2000名、さらに韓国内外の教会代表を合わせ1万名余りが参席した。午前11時から始まった慶祝式でのメッセージで、文先生はご自身の70年の歩みを振り返られながら次のように語られた。
「天命に従い、前人未到の孤独な開拓の道を一目散に走ってきた私の生涯が、没理解と反対の中にあって、外的に波乱万丈であったことは周知の事実であります。
しかし私の心の世界では、分秒を争いながら、いかにすれば神様が願われる通
りに生きて、そのみ旨を成すことができるかということに焦点を合わせた緊張の連続でありました。
私の過去七十星霜は、決して易しい道ではありませんでした。この社会に友だちもいませんでしたし、師もなく、実に一人ぼっちの孤独な道でありました。私が数多くの逆境を踏みしめて立ち上がったのも、死地をさまよいながら勇気を失わなかったのも、神様と深い心情的交流があったからでした。
誰もその深い境地の対話を知ることはできませんが、常に奥深い勧告を下さる神様は、私の生涯の動機自体であり、生命力の根源でありました。私は他人の言葉に耳を傾ける余裕がありませんでしたし、わき見をすることもできず、世論に神経を使うこともできませんでした。
日久月深、神様の願いを思い、細胞が締め付けられるような一体感でもって、その方の創造理想を現実に成就すべき、その道、その目的に向かって、狂ったように駆け登ってまいりました。
本来、神様が真の愛を完全投入して創造されたように、再創造過程の復帰摂理においても、為(ため)に生き、完全投入すべきことを知った私は、天命に従って生涯をささげ、この原則を実践してきました。神様のみ旨の前で、他人の為に生きる道に徹しながら、投入、投入、完全投入してきた結果
、今日の基盤ができたのです。
今日この記念式が単純に私の古稀を祝う場であることを越えて、他の人の為に生きる宇宙公道を学ぶ集まりになることをお願い致します」。(10)
モスクワ大会
1990年4月10日から13日まで、モスクワのソビン・センターで、第11回世界言論人会議、第3回世界平和のための頂上会議、第9回中南米統一連合総会が開催された。
その中で4月11日、ゴルバチョフ大統領は、文鮮明先生ご夫妻、ならびに28人の元国家元首とクレムリンにおいて会見した。その後、文先生はゴルバチョフ大統領と30分間の会談をなした。
4月12日の言論人会議閉会の辞の中で文先生は、次のようなメッセージで締めくくられた。
「これは私にとって、初めてのモスクワ訪問です。訪問期間も滞在期間も短かったのですが、この間にソ連と断ち切ることのできない深い理解と友好の絆を結ぶことができたと考えます。
先日私は、ソ連とソ連国民に対する愛情について語りました。今夜、私はソ連とソ連国民を一層深く愛するようになりました。私たちは皆、神を親とした兄弟姉妹です。
昨日、私はゴルバチョフ大統領と意義ある会談を持ちました。私は彼の政策と指導力を尊敬し、称賛します。私は彼に、彼の平和の計画をあらゆる形で助けると約束しました。またゴルバチョフ大統領に、ソ連の成功の秘密は、神をすべての中心に置くことだと告げました。私の生涯がそれを証明しています。
ゴルバチョフ大統領は私に、自分が担う使命が困難なものだと語りましたが、神が彼に味方する時に初めて、使命を果たすことができるのです。私は大きな希望を心に抱いて、ソ連を発とうとしています。この国は今後十年間に神の摂理において中心的な役割を果
たすでしょう。私はすべての祈りの中にソ連を含め、神がソ連を祝福されるよう祈ります」。
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